クリおじさんの迷える聖書勉強

クリスチャンおじさんのブログです。 独学による聖書の学びや、信仰生活のアレコレ

【雑感】COVID-19  艱難に耐える信仰

 2020年オリンピックイヤー 春 新型コロナウィルス感染症の世界的流行が問題になっています。

一部のクリスチャンの間では、終末の艱難時代の予兆では無いかと騒がれています。

そう言えば、年始には、米国がイランの重要人物を暗殺した事で、#第三次世界大戦 というハッシュタグが、クリスチャンのツイッター上を賑わせました。

20数年前の世紀末ブームの際には、世界の終わりが来る、その前にラプチャー(艱難前携挙)が起こると信じた、多くの真面目なクリスチャンが人生計画を誤り、沢山の不幸な出来事がキリスト教社会に起こりました。(40代以降の当時からのクリスチャンはキチンと伝えなければいけませんね。)

f:id:chrioji:20200222180221j:plainDesigned by Kjpargeter / Freepik

確かに、世界の終わりに気を配る様にとイエス様も言われています。

「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」マタイ24:32〜35 新共同訳

 

しかし聖書は、世界の終わりを理由にイエス・キリストを信じなさいとも、世界の終わりの苦難から守られる事が福音だとも教えていません。

クリスチャンとして、終末の予兆に気を配る事は必要な事ですが、イエス様は先の聖句の文脈の前半で多くの前兆を耐え忍ぶ事の必要を説かれます。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられるそれから、終わりが来る。」マタイ24:13,14 新共同訳

使徒ペテロは身を慎み祈る様に勧めます。

万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい Ⅰペテロ4:7新共同訳

使徒パウロはみ言葉を宣べ伝え、自分の務めを果たす様に勧めます。

御言葉を宣べ伝えなさい折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。 

だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。  しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい Ⅱテモテ4:2〜5 新共同訳

 

昨今、ラプチャー艱難前携挙)をネタに未信者への伝導を行う人がいる様です。

艱難前の携挙の教えに関しては色んな意見があります。たとえそれが真実であったとしても、それは救われた後の信者が、自分の意志によって受け入れるものであって、ラプチャーが福音になったり、信仰を持つ理由になっては本末転倒です。

私たちが伝える福音とは、イエス様の十字架による救いです。何も付属する必要はありません。

オジさんは、未信者への艱難前の携挙の説明は控えるべきだと考えます。

今回の疫病が、事実 終末の予兆だったとしても、私たちクリスチャンがやる事は変わりません。苦難を耐え忍び、思慮深く身を慎み、祈りつつ、み言葉(福音)を宣べ伝えるだけです。自分の務めを果たすだけです。 

聖書の神様は、艱難の只中でも共におられ護ってくださる神様です。

ノアとその家族は大洪水の只中で護られました。

イスラエルの民はエジプトの只中で護られ奴隷でしたが人口は繁栄しました。

エジプトで10の災いの只中で護られました。

出エジプトでは荒野の只中で護られました。

ダニエルは、ライオンの只中で護られました。

ダニエルの3人の友人は燃え盛る炉の只中で護られました。

イスラエルの民は捕囚の只中で護られました。

注)ソドムの街のロトは、艱難から護られたのでは無く、神の裁きから逃れたのです。

エス様はゲッセマネで次の様に祈られました。

わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。ヨハネ17:15 口語訳

初代教会の使徒たちは、迫害の中で信仰が護られました。 

 

個人的には「艱難前の携挙」は、「艱難に耐える事が出来る信仰」を持つ事を邪魔する、信仰の成長を阻害する可能性が有る教えだと危惧しています。

各自が聖書を確認した上で自分の意志により「艱難前の携挙」を信じるのは結構ですが、携挙を未信者に語る事は控え「艱難に耐え得る信仰」を持つ努力も怠らないで頂きたいと思います。終末論なしで福音を語る訓練も必要かと思います。

そして「艱難前の携挙」の教えは、危険性を含む可能性もある事だけは、心の何処かに留め置いてくだされば幸いです。

オジさんの終末論は、以前は教えを鵜呑みにした「艱難前の携挙」でしたが、聖書を確認した上で自分の意志により「艱難期後千年王国前携挙」「艱難期三年半」説を今の処は採用しております。終末論は奥が深いゆえ、この先どう変わるかは分かりませんが...

以上 最近の雑感でございます。

共感して頂けたらポチッと応援お願いします。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村