クリおじさんの迷える聖書勉強

クリスチャンおじさんのブログです。 独学による聖書の学びや、信仰生活のアレコレ

そばにいるよ 〜♪

 

お前らのやってる事は、全部 全て まるっとどこまでもお見通しだ! 

 

これは、超天才マジシャン山田奈緒子女史の決めゼリフです。

山田奈緒子とは、女優の仲間由紀恵さん演じるドラマの架空のキャラクターです。このセリフには色んなバリエーションがありますが、件のセリフは劇場版TRICKの時のものです。

 

さて、聖書が教える神様こそ

私たちの事を、全部 全て まるっとどこまでもお見通し

の全知全能の神様です。

そしてオジさんをはじめクリスチャン達は、この神様を、架空のキャラクターでは無く、実際に存在するお方だと信じています。

 

その聖書の神様を説明する際に、遍在(へんざい)と言う言葉を用いる事があります。

全能の神様は、同時にあらゆる場所に存在する事が可能だ。と言う意味です。

遍在出来るからこそ、全部全てまるっとどこまでも見通せるのです。

今回は、そんな神様の偏在について考えてみました。

 
遍在《名》
広くあちこちに行きわたってあること。

広くゆきわたって、どこにでも存在する事

 

よく似ている言葉に偏在(へんざい)と言う言葉があります。

マネしているみたいな... 紛らわしいですネ。

偏在《名》

かたよって、ある場所にだけ多くあること。偏って存在する事
 
悪魔(サタン)は、創造主によって造られた被造物で個の存在の為、同時に複数の場所に存在する事は出来無いと考えられています。(遍在出来ない)
 
悪魔(サタン)は、全能の神様(創造主)によって造られた天使が、神様の様になろうとして天使をクビになった堕天使だと言われています。
聖書には、悪魔(サタン)が神様に取って代わろうと、神様を模倣(マネ)する描写が度々登場します。悪魔(サタン)がエバを誘惑した時の言葉も「神のように善悪を知るものとなる...」(あなたも神様の様になれるよ)でした。
因みに、超天才マジシャンは、マジック(トリック)で遍在を装います。
 
霊的戦いを強調するクリスチャンの中には、『それはサタンの攻撃だ』『サタンに憑かれている』『サタンよ出ていけ!』などと言ったり祈ったりする方がいらっしゃるが、これ、正しくは、サタンでは無くてサタンと一緒にクビになった天使の3分の一の堕天使たちで、悪霊(あくれい)と呼ぶ方が正解ではないかとオジさんは考えています。
遍在出来ないサタン(悪霊の頭)は、手下の悪霊たちを使って遍在しているように装っているのです。(サタンとは悪霊の頭の固有名詞と考えて下さい)
あなたが余程 歴史的、社会的、政治的、宗教的に重要人物でない限り、サタンが直接攻撃することは、まず有り得ないでしょう。あなた個人を攻撃しているのは、サタンの手下(小者)の悪霊たちです。
サタンに直接攻撃されてるとしたら、あんた、どれだけ大物やねん?と言う話です。
 
一方、我らが神は全知全能であり、神の軍勢の天使たちは3分の二残っています。
そう実力だけでなく数においても圧倒的に優勢なのです。
その天使たちの頭である神様が、直接私たちと共にいて下さると聖書は伝えるのです。
ですから、仮にあなたが将来大物になる神様にとって重要人物で『サタンの攻撃』を受けているのなら、安心して下さい。その勝利は約束されています。
(但し、あなたの望む形の勝利ではないかもしれませんが...)
*天使も悪霊も有限なんですね、その数が人類の総数より多いか少ないかは、分かりませんが...
 
時に神様は、私たちの鍛錬の為に悪霊たちの攻撃を許容される事もあるようです。
そんな時は、こちらは圧倒的に優勢だという事を思い出し、共にいて下さる神様を信頼して、神様に頼ってみて下さい、きっと何らかの答えを得られると事だと思います。
神様は頼られる事を喜ばれると思います故...
(これ、結構難しい時も有るけどね...   (^_^;)と実感するオジさんです。)
 
 
とっ...ところで、神様が遍在で全知ということは...
 
あんな事をしている時も、そんな事考えている時も
 『あなたの事は、全部全てまるっとどこまでもお見通しだよ! 』
 と、そばで見て居られるって事になるわけだ...
タジタジ...
今更、何を恥じよう、何を隠し通せよう....
遍在される神様を理解しようとする事は、神様への畏れ(畏怖の念)が必要だとオジさんは感じております。
 
もし遍在が分かりづらい場合、神様が霊的存在であると考えると、神様の遍在が分かり易いかもしれません。神様が共にいて下さる遍在をイラストで表現した?記事です。
参考記事

 

もうひとつ、へんざいと似た言葉 臨在(りんざい)と言うのがあります。

臨在《名》 

キリスト教において、見えない神がそこに存在すること。

 

あれ? 神様は、遍在しているのに [見えない神がそこに存在すること] っておかしくない?どう違うの?ってなるよね。

これは、その時その瞬間その場所に、神様が共にいて下さってる事を実感出来る状態の事だと思って下さい。

礼拝や祈り賛美の最中、また、人が救いを実感する時などに感じる『あぁ、神さま...』って感覚...

チャネリングなどとは違います。こればかりは信仰の過程で実際に体験しないと...

神様の存在の実感(臨在)は様々あるように感じます、自覚無かっただけでもう既に臨在を体験している人もいるかもしれません。何故か分からないけど、涙が溢れる...とか

たとえ臨在を感じていなくても、神様は信者と共に居られ、全てに人の処に遍在しているんだとオジさんは理解しています。

 

聖書のテーマ 臨在

マタイの福音書は、1章のイエス様誕生のシーンで

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
と書かれています。
 そして最後の章 28章では、イエス様の言葉
 
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
 で、福音書を書き終えています。
 
 マタイが最も伝えたかった事は、福音書の最初と最後に書いた、この「神様は、いつも我々と共におられる」と言う事かもしれないなぁ〜と、想いを馳せます。
 
この「神様は、いつも我々と共におられる」と言うのは、新旧約通して聖書の壮大なテーマのひとつでもあります。
 
聖書の最初の書『創世記』のアダムとエバは、絶えず臨在を感じながら神様と共に過ごしていた事でしょう、それが、悪魔(サタン/蛇)の誘惑に負けて神様から隠れようとしました。そうです、絶えず臨在を感じる事を拒否したのです。しかし聖書の最後の書『黙示録』で、将来再びいつも臨在を感じながら神様と共に永遠に過ごすようになるのです。
その約束のしるしがイエスさまの十字架であり、神様と共に永遠に過ごす為の条件が、エスさまの十字架による福音を信じる事なのです。
 
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』と言われたイエス様を信じることは、「神は我々と共におられる事を信じることでもあるんですね。
 
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
 
エスさまの十字架による福音って何?って方はこちらの記事をお読み下さい。

  

 
最後に、遍在偏在の漢字誤用防止の為の覚え方を
 
神様は道であり真理です(ヨハネ 14:6 )
を表す「しんにょう」が、どこにでも存在できる遍在
 
悪魔が真似したへんざい 自分を神としてしまいがちな人間
を表す「にんべん」が、偏ってしまう偏在
 

 

今回も最後までお読みくださりありがとうございます。

テモテへの手紙 結びより 

主があなたの霊と共にいてくださるように

恵みがあなたがたと共にあるように。 

Ⅱテモテ4:22

 

※ 聖書引用は、特別明記していない場合は「新共同訳」を使用しています。

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合わせてお読みいただきたい記事

神様が共にいれば(聖の内住があれば)いつでも何処でも礼拝出来るけれど、教会での礼拝も大事だよって記事です。

 
ヨハネ 14章6 
エスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
 
聖句 共におられる 
 
マタイ1章23〜25
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

 

マタイ28章18〜20

エスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる

 

ルカ1:28

そのおとめの名はマリアといった。 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる

 

ヨハネ14:16~

わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。

 

ローマ6:8

わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。

 

創世記28:15

見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。

(神様が夢の中でヤコブに語られた言葉)

 

ヨシュア1:5

一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。 6強く、雄々しくあれ。

(神様がヌンの子ヨシュアに語られた言葉)

 

Ⅱサムエル7:9

あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。

(神様が預言者サムエルを通してダビデに語られた言葉)

 

ゼカリヤ8:23

万軍の主はこう言われる。その日、あらゆる言葉の国々の中から、十人の男が一人のユダの人の裾をつかんで言う。『あなたたちと共に行かせてほしい。我々は、神があなたたちと共におられると聞いたからだ。』

預言者ゼカリヤの預言)

 

黙示録21:3~

そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

 

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