クリおじさんの迷える聖書勉強

クリスチャンおじさんのブログです。 独学による聖書の学びや、信仰生活のアレコレ

テサロニケの皆さ〜ん その2  (パウロの終末観)

使徒パウロの終末観の考察です。

新約聖書に、使徒パウロが書いた2通のテサロニケの信徒宛の手紙があります。

艱難携挙説では、この手紙の 1通目の手紙は携挙 2通目の手紙は再臨の事が書かれていると言われています。

携挙って何?って方は、先に過去記事をお読み下さい。

 

前回の記事では、パウロが参考にしたであろうイエス様の教え、マタイ24章の主の言葉から、パウロの2つの手紙を基にマタイ24章を読むのではなく、マタイ24章『主の言葉に基づいて』パウロの書いた2つの手紙を理解するべきです。と述べさせて頂きました。

前回のテサロニケの皆さ〜ん

 

では、このテサロニケの信徒への手紙は、一般的聖書理解ではどの様に捕らえられているでしょうか?

オジさんが聖書の学びに使用しているYouTubeチャンネル 『 BibleProject 』でテサロニケへの手紙(1)(2)[概観]が最近アップされたので是非ご覧下さい。

(2本合わせて16分程度なので、お時間のある時に確認されて下さい)

このチャンネルの内容は、殆どの教会で通用するバランスのとれた聖書理解だとオジさんは思っています。


テサロニケ人への手紙第一【概観】


テサロニケ人への手紙第二 2 Thessalonians【概観】

如何でしたか。

動画の内容では『 BibleProject 』さんも、パウロの2通の手紙を同じ終末(キリストの再臨)の事として扱っています。

また、どちらの手紙も艱難に耐える信者たちへの慰めと励ましとして扱っています。

 

使徒パウロの終末観は?

他の聖書箇所(パウロ書簡)から、パウロの終末観を考えてみました。

パウロは後進のテトスへ宛てた手紙の書き出しで「 自分が使徒に任命されたのは、一致する真理認識に導くためで、その 一致する真理とは神様の約束『永遠の命の希望』だ」と述べています。

 

テトスへの手紙1:1~3

神の僕、イエス・キリスト使徒パウロから――わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた人々の信仰を助け、彼らを信心に一致する真理の認識に導くためです。 これは永遠の命の希望に基づくもので、偽ることのない神は、永遠の昔にこの命を約束してくださいました。神は、定められた時に、宣教を通して御言葉を明らかにされました。わたしたちの救い主である神の命令によって、わたしはその宣教をゆだねられたのです。――

(テトスへの手紙は「牧会書簡」と言われ、新しいリーダーを育てる為の教科書として初期の教会で回し読みされていました。)

 

聖書における信者にとって一致する真理、一致する認識、一致する希望とは、神様からの約束。それは、神様と共に暮らす御国での『永遠の命』の約束です。(新約、旧約共に)

このテトスへの手紙から、パウロが『永遠の命の希望』の前に『 携挙の希望』がある様な認識を持っていた、『永遠の命の希望』の前に『 携挙の希望』がある様な教えを(艱難前に携挙があると明言せずに)説いた、とは考え難いのでは...と感じました。

 

また、別のパウロ書簡、エフェソの信徒への手紙では、神様(聖霊)が保証して下さっているのは、『贖いの日(永遠の命を戴く日)に対して』だとも書いています。

(エフェソの信徒への手紙の著者は、パウロでは無いと言う学説もあります。)

 

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。エフェソ4:30

 

贖いの日(エフェソ)=主の日(テサロニケ)=永遠の命を戴く日(テトス)

 

艱難携挙説では、携挙聖霊の内住のしるし(本当に救われている証拠)、携挙されなかった人には聖霊の内住が無いと教えます。

では聖霊の内住が無い人には、もう贖いの日の保証は無いのでしょうか?

携挙されたクリスチャンには贖いの日の保証(永遠の命の希望)は7年間お預けなのでしょうか?

エフェソ4章と艱難期携挙の教えを比べると、携挙の教えで聖霊が保証しているのは贖いの日では無くて、贖いの日の7年も前に起こる携挙の様な印象を受けるのですが...  と言う、うがった見方も出来ます。

 (艱難期携挙の教えでは、7年の艱難期の前に携挙が起こると言われています。)

 

聖書の教えに多く見られるのは、困難の中にあっても『キリストが共に居てくださる』『最終的には報われる』だから耐え忍び一緒に頑張ろう!と言う、信者への励ましと希望の教えです。

『困難を取り除く、困難に会わない』と言った携挙の様な教えは、殆ど見られません。その様に見える聖書箇所の主題は、罪からの救いや、神の裁きからの守りだと思われます。

 

先のエフェソ4章は、イエス様をキリスト(救い主)として受け入れた人の新しい生き方について書かれています。

新しい生き方...いかなる時...たとえ艱難の中でも、神様(聖霊)を悲しませない信仰を保つ生き方が出来ます様に。と乞い願うオジさんです。(多分、まだ、度々、悲しませている気がす...)

エス様はいつも、

信じる私たちと共に居てくださいます。

明記なき場合、聖書は新共同訳を引用しています。

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