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今回は「旧い契約」(古い契約)と「新しい契約」の関係のお話しです。
「旧い契約」は「新しい契約」が結ばれた時に終わったのでしょうか?
最後の晩餐のシーンです。
食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約である。」
ルカによる福音書22:20 新共同訳
これは、父なる神と神の御子イエス・キリストの間で交わされた『イエス様を救い主(メシア・キリスト)と信じる者は救われる』と言う契約ですね。
イエス様と私たちとの間の契約では無いって事です。父と御子の契約は絶対です。
9/7 訂正 勉強不足でした
罪ある人間に神様との契約を結ぶ資格は無い筈だから、人としてのイエス様(人間代表)と神様との契約の筈と考えておりましたが、人と神様の契約でありイエス様はその仲介者であると言うのが、一般的に正しい聖書理解の様です。
訂正 ここまで
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
旧約聖書を「旧い契約」イエス様の契約を「新しい契約」と呼んだ時に、「旧い契約」と「新しい契約」の共存は不可能なのでしょうか?
(ちなオジさんは、「旧い契約」はイスラエル人だけのものでは無いと過去記事にて主張しています。)
ところで、王妃エステルのお話をご存知ですか?
ペルシャ王クセルクセスは、悪役ハマンにそそのかされ、ユダヤ人を皆殺しにする為の法律にサインしますが、王妃エステル(ユダヤ人)によってユダヤ人は守られ悪役ハマンが死刑になると言うお話です。
このお話の中で、王クセルクセスは、既にサインした悪役ハマンの法律を破棄したのではなく、王妃エステルの養父モルデカイに「ユダヤ人を殺そうとする者を殺しても良い」と言う新しい法律を作らせ、それにサインしたのです。そう法律を追加したのです。
当時の王の勅令とは、一度発したら王本人でさえ破棄する事の出来ない程、権威あるものでした。
まして、ご自分の言葉をご自分より高く置かれる神様が、一度結ばれた契約を破棄する事が、はたしてあるでしょうか?
わたしはあなたの聖なる宮にむかって伏し拝み、あなたのいつくしみと、まことのゆえにみ名に感謝します。あなたはそのみ名と、み言葉をすべてのものにまさって高くされたからです。 詩篇138:2 口語訳
ご自分のすべての御名のゆえに、あなたのみことばを高く上げられたからです。詩篇138:2 新改訳
その御名のすべてにまさってあなたは仰せを大いなるものとされました。詩篇138:2 新共同訳
英語の聖書から直訳すると「全ての御名の上に、御言葉を高く上げた」とも訳せます。
ご自分のお言葉に責任を持つ!流石です神様!
旧約聖書時代、神様のお名前(YHWH)は、口にするのも畏れ多いものでした、その御名よりも御言葉は高い権威があるとダビデ王は証します。
イエス様も裁きに関しては、御自分より御自分の言葉を高くされました。
だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人を裁きません。わたしは世を裁くために来たのではなく、世を救うために来たからです。わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人を裁くものがあります。わたしが話した言葉が、終わりの日にその人を裁くのです。
過去記事にも書きましたが、神様は「ご自分の義」故に裁かなくてはならなくなったアダムとエバに対し、罪に対する裁きの掟はそのままに、罪を「赦す為の唯一つの方法」と言う新しい掟を与えられました。
イエス様によって新しい契約📜は結ばれていますが、古い契約📜が破棄されたわけでは無いとオジさんは考えます。
これにより、「イエス様の十字架による救い」を知る以前の人々への、「まことの神への信仰による救い」の道は残されているのでは無いかと思うのです。
うちの爺ちゃん婆ちゃんとか、キリスト教伝来以前の人たちね!(異端的かなぁ?)
イエス様が与えられた、『新しい掟』については以下の過去記事をご確認下さい。
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