みなさんは、聖霊についてどの様に理解していらっしゃいますか?
聖霊は、三位一体の、神様の一位格(ペルソナ)と言われています。
聖書の中では、御霊とか神の霊などと呼ばれる事もあります。
簡単に言えば、聖霊とは神様の事です。
聖霊のバプテスマ、聖霊の油そそぎ、聖霊に満たされる....など
教会によっては『?』な言葉を聞く事があるかもしれません。
今回は、聖霊のことがよく分からない方の為に、聖書の言葉を元に、私たちの事を土の器、神様を命の水に例え、オジさんなりに聖霊をご説明したいと思います。
(オジさんは、聖霊の働きを重視する、ペンテコステ派と呼ばれる教派に長い事所属していました。)
まずは、簡単にまとめた動画をご覧下さい。(約2分)
聖書から、キリスト教では私たちを、土の器と表現する事があります。
その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。(創世記2:7)
私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。(Ⅱコリント4:7)
聖霊を受けることは新しく生れる(福音を受け取ること)と言われています。
これを新生と言います。
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。(ヨハネ3:5)
御霊によって生まれる事 = 聖霊のバプテスマ = 救われる事
バプテスマとは浸す(ひたす)と言う意味の言葉です。
聖霊のバプテスマを受けるとは、聖霊に浸され救いを受け取ったと言うことです。
私たちは、イエス様(神様)を求め、イエスさまの福音を受け取った時に、心の覆いが取り除かれます。
人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。(Ⅱコリント3:16,17)
4つの福音書は、イエス様が聖霊に浸(バプテスマ)された時の事を『聖霊が鳩のよう降って来た』と書き表しています。
(マタイ3:16;マルコ1:10;ルカ3:22;ヨハネ1:32)
聖霊にバプテスマされ(浸され)る時、聖霊(神様)がその人の内に住まわれます。
この状態を『聖霊の内住』(ないじゅう)と言います。
ペンテコステの時から、救われた全ての人に、聖霊の内住が起こる様になりました。
聖霊の内住の状態
あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」(ルカ11:13)
イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」(ヨハネ4:10)
聖霊は満たされると、私たちの内側から溢れ流れ出します。
イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7::37~38)
聖霊の(内住の)しるしは、証による伝道、宣教の力、賛美などの神様の為の奉仕、等として周囲の人に現れます。
私たちは、溢れるほどに聖霊に満たされる事によって、周囲の人を救いに導く事ができます。心が閉ざされている人には、聖霊は入っていきませんが、あなたから溢れる聖霊(の賜物)を、感じ、見る事で影響を与える事が出来ます。
聖霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌をもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」(エペソ5:18~19)
福音が伝わる時のイメージ
福音を伝える為には、聖霊に満たされている事が大切かもしれません。
これは、私達が救いへ導き、聖霊(神様)によって人は救われるという事を表します。
私達が、人を救うのではありません。心の覆いを取り除く(救う)のは聖霊(神様)です。私たちの務めは『伝える事』です。
聖霊が満ち溢れている状態を、救われたばかりの人の次の様な姿に見た事はありませんか?
救われたばかりの頃は、喜びを、誰かに伝えたくて(証したくて)仕方ありません。 証 伝道
救われた喜びで、嬉しくて神様を賛美します。礼拝 証
神様への感謝から、神様の為に何かしたくてたまりません。神様への奉仕
神様への奉仕=(賛美、祈り、証、伝道 なども含む)
私達は、救われたばかりの頃のように、溢れる程の聖霊に満たされているでしょうか。
ペンテコステの日には、聖霊の内住と溢れ出る聖霊の満たしが同時に起こりましたが、必ずしも同時に起こる訳ではありません。
聖霊のバプテスマ(による内住)は救われた時一度だけですが、聖霊の満たしは救われた後、何度でも起こります。
聖霊に満ち溢れ満たされている時の私たちの状態
聖霊(神様)に満たされている時
神様(聖霊)は、私たちの内に住まわれています。
神様(聖霊)は、私たちと共にいます。
神様(聖霊)は、私たちのそばにいます。
神様(聖霊)の内に、私たちは住んでいます。
けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。(ローマ8:9)
その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。(ヨハネ14:16~17)
私達は神の宮、住まいです
「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(Ⅰコリント3:16)
『 聖霊の油注ぎ』と言う表現は、旧約時代の祭司、預言者、王など、神様に選ばれた人の頭に、油を注ぐ儀式が行われた事に由来しています。
既に救われている(油注がれている)私達は、新たに聖霊の油注ぎ(聖霊のバプテスマ)を求める必要はありません。
『古い油を棄てて、新しい油注ぎを求めましょう』と言う教えには気を付けて下さい。
聖霊を棄てて、新しく受ける霊とは、はたして何の霊でしょうか?
私たちが求めるべきは、溢れる程の聖霊の満たしです。
救われている人に対して、『聖霊のバプテスマを受けなさい』『聖霊の油注ぎを受けなさい』と言う事は、既に救われている人に『救われなさい』と言っている事になります。
『聖霊のバプテスマ』と言う意味での『聖霊の油注ぎ』と言う言葉の使い方は、本来は間違いなのです。
と言う意味です。
満たされた上で、溢れ出す為の追加の『油注ぎ』(神様の内住の実感)を求めるのは有りですが、聖霊のバプテスマ(名)を受けていない前提で、聖霊のバプテスマ(名)を求めるのは間違いです。聖霊のバプテスマは名詞ではなく動詞?です。
本日のタイトル
『聖霊に満たされなさい』とは
『神様に満たされましょう』と言う事です。
今回も最後までお読み頂きありがとうございます。
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おまけ
以下に聖霊に関する聖書箇所の一部を置いて起きます。(全て新改訳)
まだ他に沢山有ると思います、もし見つけられたら、コメント欄にて共有させて頂ければ幸いです。
イエス様の公生涯(宣教)のスタートは、聖霊が鳩の様に降る事から始まりました。
またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。(ヨハネ1:32)
イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。(ヨハネ7:39)
それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。(使徒10:38)
わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。(ヨハネ14:16~17)
私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。(Ⅰコリント6:19)
あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。(エペソ2:20~22)
いのちの水は、神の宮から流れでます
彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。(エゼキエル47:1)
御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。(黙示22:1〜2)
教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。(エペソ23)
聖書の中で聖霊に満たされた登場人物たち
「聖霊に満たされ」と書かれている人物です、下って、注がれて等は除外してます。
ベツァルエル(出エジ31:1~5)
神の宮(幕屋)の道具を作る奉仕
ヨシュア(申命34:9)
神様の為、モーセに代わり民を導く奉仕
預言者ミカ「(ミカ3:8)
神様の言葉を預かり、預言する奉仕
バプテスマのヨハネ(ルカ1:15,16)
預言する奉仕、宣教
ヨハネの母のエリサベツ(ルカ1:41)
マリヤを励ますと言う神の為の奉仕
預言する奉仕 祭司
ペテロ(使徒4:8)
神様の為の奉仕、伝道、宣教
神様の為の奉仕、伝道、宣教
神様の為の奉仕、伝道、宣教
神様の為の奉仕、伝道、宣教
そのほか旧約時代の祭司、預言者、王、新約時代の使徒、信者達 神様の為の奉仕(伝道、宣教)
(旧約時代は、神様の目的が達せられると、神様が聖霊を取り去りました。)