過去記事より『携挙』に付いて触れた部分を、加筆リライトして再掲いたします。
そうです!手抜き更新です。 (≧∇≦)
ヨハネによる福音書14章は、患難前携挙説を主張される方達が『場所を備えたら、また来て』を根拠に携挙の事が書かれていると主張されるコトのある聖書箇所の1つです。
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ヨハネ14:2~3(新共同訳)
わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
同じ箇所を新改訳でみて見ましょう
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
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患難前携挙説の立場の人の中には、この箇所と「天に宝を蓄える」と言う別の聖書箇所を組み合わせて、『救われた人には天国に、天使達による建設中のあなたの家が有るんですよ!、信仰の度合いによって建築材料が決まって、豪華な家が建つんですよ!』と、まるでソシャゲの様な考えを持たれている方もいて、その方との会話の限界を感じた事がありました。
話を元に戻します。
このヨハネ14章は、文脈を考えながら最後まで読んで見ると、14節は聖霊が与えられる事、16節は弁護者としての聖霊、共にいる聖霊など、このヨハネ14章全体は聖霊について書かれている箇所だと考えられます。
この箇所の文脈から、イエス様が終末の事を話されていたと読むのは、かなり無理があります。
ヨハネの福音書自体も聖霊の事を伝えようとしている側面が有る気がするのですが...
携挙の教えには文脈を無視した聖書解釈が時折みられます。
課金によって建つであろう、1〜3節の「父の家にあるたくさんの住まい」とは、正しくは、まだ聖霊が住んでいない神(聖霊)の住まいの事でしょう。
聖書は、救いを受け取った私達の事を、『神の住まい』『神の宮』と表現しています。
また、聖書全体を通して、私達と共に住まわれる事を望まれる、神様の姿を見る事ができます。
エデンの園でアダム達と共に
40年の荒野にて
賛美を住まいとされる
聖霊の内住 など
このヨハネ14章を、聖霊の事に付いてイエス様が話されていると思って読んで見ると、
「天の父にとって救われるべき人が沢山いる、その為に御子は十字架にかかるのです、それは聖霊としてあなたたちと共にいる為だ」
と読めませんか?
この箇所は、御子イエスによる、『父』『御子』『聖霊』の三位一体の神様の聖霊の内住の約束に付いて書かれているのです。
そして、その約束(聖霊の内住)は、イエス様が復活されて50日目のペンテコステの日からスタートしました。
イエス様が、十字架に掛かられ、死んで、三日目に復活され父の家に場所を備えに行かれたのです。
イエス様(神)は、イースター(初穂の祭り)で場所を備えに行かれ、
聖霊(神)が、ペンテコステ(7週の祭り)で共に居られる様になられたのです。
患難期前に携挙が有るか無いかは、ひとまず置いておいて、
ヨハネによる福音書14章は、携挙では無く聖霊の内住 に付いて書かれていると、オジさんには読めるのですが、皆さんはどの様に読めますか?
イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
明記なき場合、聖書は新共同訳を引用しています。
聖霊の内住の解説記事
ペンテコステの記事初穂の祭りの記事
携挙に関する記事
✝️参照聖句
イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。ヨハネ 7:39
この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。ヨハネ 14:17
あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。Ⅰコリント3:16
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