神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。
聖書や神学を、独学にて学び直しております。
救いは「神の主権か?それとも人の自由意志か?」と言うのがあります。
頭がウニウニするくらい難しい内容です。
神の主権
『神さまは、救われる人は既に決めておられる』
(神に選ばれた)人は救いの恵みを拒否することはできない
救いの主導権は神様にある。
根拠となる聖句の例
ヨハネ 15 ; 16
ローマ 8 ; 29-30
エペソ 1 : 4, 5, 11
詩篇 139 : 16
問題点
どんなに伝道しても、選ばれてない人は救われ無い
伝道しなくても、選ばれている人は救われる。伝道は無意味?
人の自由意志
『自らの意思で、救いを受け取った人は全て救われる』
人は救いの恵みを拒否することができる
救いには、人間側からの協力が必要である。
根拠となる聖句の例
ヨハネ 3 ; 16
ローマ 10 ; 9, 10
申命記 4 : 29
問題点
人間の協力が無ければ、神様は人を救う事が出来ない。全能の神の否定?
詳しく知りたい方は、カルヴァン主義 アルミニウス主義 予定説などでググって下さい。
過去、一度もキチンと考えた事が有りませんでした。
根拠となる聖句や主張を読むと、おじさん的にはどちらもごもっともなのです。
そこで、勝手かつ強引にこのふたつの辻褄を合わせて受け入れてみました。
まず自由意志から
人生と言うRPGゲームがあるとします、このゲーム、ゴールまでには様々なルートがありますが、最後に用意されているのはGOODエンド(救い)とBADエンド(滅び)です。
またはYes/No診断チャート を思い浮かべて下さい。yes/noやA/Bを選んで進んで行き、自分のタイプを診断するヤツです。このチャートの最終的タイプも命タイプと死タイプのふたつしかありません。
わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたに対する証人とする。わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう。
申命記 30;19 口語訳
明日あなたが、何色のネクタイをしようが、靴下を左右どちらから履こうが、その選択が直接GOODエンドかBADエンドに繋がるとは思いません。
しかし神さまは、人生の節目ごとのイベントで『命と死』『祝福と呪い』の選択肢を、あなたの前に置かれます。
そのイベントで不覚にも『死や呪』いを選んでも、その時点から次の選択イベントに向かって物事は動きはじめているのです。当然その逆『命と祝福』を選ぶ事もあり得ます。
人生の終わりまたは、この世の終わりの最後の選択イベントで正しい判断が出来るか否かは、それまで歩んで来たルートによる影響があるかもしれません。
しかし、最後の選択イベントで、大どんでん返しが起こるのが、このRGPゲームです。
次に神の主権です
主導権は神様に無くてはなりません。人間如きに左右されてはならないのです。
では救われる人はもう決まっているのでしょうか?
「決まっている」とは断言出来ませんが、「ご存知である」とは言えると思います。
先程のRPGのシナリオやYes/No診断チャートの制作者が神さまであれば、GOODエンドもBADエンドも全てのルートをご存じの筈です。
そのルートが無数にあるとしても、聖書の神様は全知全能の神さまですからその全てをご存知でなければなりません。
アニメシュタインズゲート風に言えば別の世界線またはパラレルワールド(平行世界)の様なものでしょうか。
不確かですが、「ある選択から分岐し、それに並行して存在する別の世界が産まれて行くと言う考え」でいいのかな?
それの、選ばれなかった世界は無きものに、まだ産まれて無い無数の世界は、神様は既にご存知であるとお考え下さい。全知ですから!作成者ですから!
ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。
「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。
だれが主の相談相手であっただろうか。
だれがまず主に与えて、
その報いを受けるであろうか。」
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。
ローマ11;33〜36 新共同訳
でも、最終的な選択の時には、人の自由意志に左右されるのでは?
はたしてそうでしょうか?
聖書の神様は、義なる神さまです。そのご性質のひとつに愛があります。
神様はそのご性質(愛)の故に、人を滅ぼす事は許されません(出来ないとは言ってない)
ですから、何度拒絶されても、引き戻す為の選択イベントをご用意されるのです。
神様はそのご性質(義)の故に、正しく無いものをそのままにして置くことも許されません。(出来ないとは言ってない)
「愛」故に人を滅ぼす事は許されませんが、「愛」故にその人が望む世界、その人の選択を認めてくださるのです。
「私に愛されることが迷惑なら、私がいない方が幸せだとあなたが思うなら、大好きなあなたの為に身を引きましょう。」と言う感じでしょうか。
あなたがどんなに神様を拒否しても、神様は、あなたを強引に救う事の出来る権威を持っています。(全能ですから)
あなたの自由意志の選択の結果を、認めるか否か 主導権は神様の側にあるのです。
ですから「救われる人は既に決まっている」「滅びる人は既に決まっている」とするなら、どちらも『全ての人は』と言う事になるでしょう。
『全ての人は、既に救われている』
『全ての人は、滅びる運命にある』
全ての滅ぶ運命にある人(私たち)に与えられた救いの道(ルート)それが、神様が聖書を通して伝えようとしている福音です。
神様は、救われるあなたも、救われないあなたも既に決めておられ、どちらのあなたも知っておられます。
って事になるのでしょうか。
(勝手な解釈ですが)そもそも、神様は人を『自由意志で神さまを選ぶ』様に創造された思ってます。
サタンと呼ばれるあの蛇さえ余計な事をしなければ、人は自由意志で神さまを選でいたと思われ。
まっ、その余計な事を容認されたのも神さまなのでしょうが。
以上、おじさん的に「神の主権?それとも人の自由意志?」を勝手な解釈で受け入れてみました。
勝手な解釈ゆえ、反論があって然るべきですが、目くじらを立てず、なるべく分かりやすくお願い致します。
もし、どうしても異議を唱えたい方がいらっしゃいましたら、教派や聖句をもってコメント下さい。
皆さんは、「神の主権?それとも人の自由意志?」どっち?
初めてのブログ、思ったより長文になってしまった。
果たして続けられるだろうか?
追記 万人救済主義 - Wikipediaってのもあってなぁ〜
どうやら自分の考えは、過程は万人救済論で有り人の自由意志だけど、結局最後は神の主権派みたいだ。
10/4追記
スイスの神学者エミール ブルンナーの選びについての言葉「招待状は、全ての人に発送されている」に同じものを感じます。
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