なんか最近 携挙の記事が多いなぁ〜
オジさんは、過去記事において何度も「携挙と言う言葉は聖書に書かれていません」と書いて来ました。
親切にもある方が、「ラテン語の聖書には、あるんですよ。」と教えて下さいました。
すみませんでした、訂正致します。
「信者が艱難前に天に挙げられると言う意味を持った携挙と言う単語は、聖書にありません。」
長ったらしいので、今まで通り「携挙と言う言葉は聖書に書かれていません」と言わせて下さい。
その方が紹介して下さったこちらの動画(26分10s辺り)の翻訳字幕を、文字に起しました。
🎬 文字起こし
『ラテン語の聖書にはあるんですよ、1テサロニケ4:17にはラプトロスと言う言葉があるからです。
それは音訳するとラプチャー(携挙)です。
ギリシャ語では「ハルパゾ」。英語で「Caught up/引き上げられる」です。』
🎬 ここまで 後略
2020/10/7補足 現在紹介の動画が見られない状態にあるようです。詳細はこちら
2020/11/4補足 こちらは、公式チャンネル?の同じ動画になります。
2023/9/25補足 上記の動画も非公開になっているようです。こちら は、公式?のPDF原稿になります。6ページのラスト2行目からを参照してください。
つまり、「ラテン語の聖書にはラプトロスと書かれている、これって英語でラプチャーですよ、ほらね聖書にラプチャー(携挙)は書かれているでしょう。」と言うことの様です。
英語戦闘力が、ひと桁未満のオジさんですので、この説教者の語る真意やニュアンスを的確に汲み取る事が出来ない為、もしかすると翻訳者の意図が働いた翻訳の可能性がある事を、念の為お断りしておきます。
ちなみに(最後まで見てませんが)この説教者によると、大きい艱難の中では、信者同士が励まし合う事は、信者にとって理に適わない事らしいです。
これは明らかに、イエス様やパウロ達弟子が教える『艱難に耐え得る信仰』に反する教えです。
話を戻します。
確かに、発見された新約聖書ギリシャ語の写本の 1テサ4:17にはハルパゾ ἁρπάζωと書かれており、それがラテン語ではラプトロRAPTUROと訳されています。
つまり、ハルパゾἁρπάζω(ギ) が、ラテン語聖書ではラプトロRAPTURO(ラ)と訳され、英語ではCaught up(英)、日本語では引き上げられ(日)と訳されていると言う事です。ギリシャ語が基でありラテン語はその翻訳。
✝️
1テサロニケ4章17節
それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ (ギ/ ἁρπάζω )(ラ/RAPTURO)ます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。
✝️
RAPTURO(ラ)は英語ではCaught up(英)と訳されます。
そしてRAPTURE (英)/ 携挙 はラテン語のラプトロRAPTURO(ラ)に由来します。
お気づきでしょうか?
RAPTURE (英)/ 携挙/ ラプチャーがラテン語の聖書に書かれているのでは無く、
ラテン語聖書に書かれている(引き上げられる)RAPTUROから、『信者が艱難前に天に挙げられる事象』がRAPTURE (英)/ 携挙と呼ばれる様になったのです。
この説教者に、会衆を騙そうとする意図があるとは思いませんが、自分の主張を会衆に納得させる為の弁論術(レトリック)に過ぎず、聖書に「信者が艱難前に天に挙げられると言う意味を持った携挙と言う単語」が書かれていない事実は変わりません。
艱難後携挙説では『艱難前に天に挙げられる』と言った意味での携挙と言う概念は無く、主が再び来られる再臨の時に『信者が天に挙げられる事象』が起こると考えていますので、携挙と言う単語が聖書に載っていなくても何の問題もありません。
因みに数年前までは、Google翻訳でRAPTURE (英)を日本語に翻訳すると、歓喜、喜び、魅了としか訳されませんでした、携挙と訳される様になったのは、体験的にごく最近の事の様です。(Google検索エンジンの学習の成果でしょうか?)
また、このハルパゾἁρπάζω(ギ)が携挙(ラプチャー)の事で無いもう1つの理由として、使徒言行録8章のフィリポとエチオピアの宦官の記事を上げる事が出来ます。
✝️
使徒言行録8章39節
彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った(ギ/ ἁρπάζω )。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。
✝️
この記事の連れ去ったもハルパゾἁρπάζω(ギ)です。
この記事でフィリポは天に挙げられた(携挙された)のでしょうか?
いいえ
次の40節でアソドと言う別の土地に姿を現わします。
✝️
使徒言行録8章40節
フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。
✝️
この時、フィリポに何が起こったのか?正直わかりません。
聖書に書かれている事からわかる事は、フィリポは携挙されたのでは無く、主の霊に連れ去られ、宦官たちの前から姿を消してアゾトに現れたと言う事です。
実は数年前、オジさんがまだ艱難前携挙説を信じていた頃、この説教者と親交のある別の聖書教師の動画で、同じ内容の話を聞いた事がありました。
その時に「聖書に書かれて無いと思っていた携挙が実は書かれている!大発見じゃ無いか!」と意気揚々と話の内容を整理して行ったら、只のレトリックだと気が付いたのです。
その事も、艱難前携挙説に疑問を持つ様になったきっかけの1つでした。
携挙だけでなく他の様々な教えに対しても、カリスマ性や巧みな話術に惑わされる事なく、聖書に書かれている事をしっかりと確認する必要を再認識したオジさんです。
えっ
あぁ、その親切な方には、この記事を見せるつもりです。
上手く伝わるかな... うなじ凝ってそう
正否への導きは、私たちの主に委ねる事にして、み言葉を身につける為に聖書を読もうと思うオジさんです。
主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 エフェソ6章
特に明記がない場合、聖書の引用は新共同訳を用いています。
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ローマ12:10~12
兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。
怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。
希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。