クリおじさんの迷える聖書勉強

クリスチャンおじさんのブログです。 独学による聖書の学びや、信仰生活のアレコレ

ἐκ 試練の時から あなたを守ろう Rev3:10

黙示録3章10節は、患難期携挙説の立場から、誤訳だと指摘される聖書箇所ですが、殆どの場合、その例として取り上げられる聖書は『新改訳聖書』です。

 

あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう

黙示録3:10 新改訳

ブログ主は患難期後携挙説の立場です。

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なぜ新改訳聖書ばかりなの? 

患難期携挙説によると、信者は患難期の前に携挙される為、信者は患難(試練)を経験しません。

試練の時には」だと試練の中で守られる(試練を経験します)

試練の時の中から」なら『試練の時』から連れ出して守る(試練を経験しません)

 だから

試練の時には」は「試練の時の中から」と訳されるべき誤訳なのだそうです。

原文も「試練の時の中から」となっているからと言う主張です。

※ときおり「試練の時から」と説明される事もありますが、その理由は原文の直訳が、文法的に「試練の時(の中)から」なので、中からの意味を含んだ「試練の時から」と訳するべきという主張になります。(この点については後述します)

 

そこで先ず、オジさん手持ちの聖書と、ネットで確認出来た色んな日本語翻訳聖書を可能な限り集めて比較しました。

記事の終わりに様々な翻訳の黙示録3:10 と解説を載せています。

すると、ひとつの個人訳聖書(前田訳)と、患難期携挙を信じる団体が発行した聖書(回復訳)が「時から」と訳している以外、他の殆どの翻訳が「試練の時に」と訳しています。

 

もし、あなたが「試練の時に、あなたを守ろう」と言われたら

試練の時の前に、試練が起こる場所から連れ出して守ってくれる 

と思いますか?それとも

試練の時には、たとえ試練に合っても試練から守ってくれる と思いますか?

試練の時に」は、頑張れば、どちらにでも解釈できる訳ですが、個人的には後者の方が無理が少ない解釈だと思います。

意見が別れ、どちらとも取れる「試練の時に」より、試練を体験すると受け取りやすい「試練の時には」の新改訳聖書ばかりが取り上げられる理由は、そう言う理由からでしょう。

 

と言うわけで、

試練の時に」と「試練の時の中から」はどちらが正しい訳になるのでしょうか....

 

 <重要>

ここから先は、学が無いオジさんが、色んな方の話をオジさんなりに理解できた範囲で簡略して纏めたものです、誤解や理解が及んでいない部分があるかも知れません。

情けない話、オジさんには検証する能力が不足しているので、この様な反証もあるのかと言う参考程度の思いでお読み下さい。多分これであってると思うけど...

出来ましたら専門知識があり、身分を明かせる『中立的立場』の方に確認して欲しい処です。

 

「試練の時に」と「試練の時の中から」

患難期携挙では、

原文の「ἐκ エク」には「~から」「~の中から」の訳がある。

「試練の時から」(試練を経験するとも取れる)

「試練の時の中から」(試練は経験しない)

原文では「試練の時の中から」となっている。

なので「試練の時の中から」と訳するべき誤訳である。と言われます。

 

そこで原文(ギリシャ語)です

σε   τηρήσω   ἐκ   τῆς ὥρας   τοῦ πειρασμοῦ 

Revelation 3:10 Parallel Greek Texts

 

σε(あなたを)

τηρήσω (守る)

ἐκ(~から )or(~の中から

τῆς ὥρας (時間)

τοῦ πειρασμοῦ (試練の)

 

確かに原文では「試練の時の中から」の様にも読めます....

ἐκエクは文法的に

  • 物事の源泉に関して使われる場合「~の中から (out of)」「~から (from)」
  • 時間に関して使われる場合「~から (from)」「~以降( from...on)」
  • 特定の時点について使われる場合「~から (from)」「~以降 (from...on, since)」

と訳すのだそうです。 ※源泉 とは 物事が発生する基(もと)

(要検証)https://biblehub.com/greek/1537.htm

ウーン‼︎ 🤔 そもそも「〜に 」が無いぞ!

黙示録10:3 の場合ἐκエクは「試練の時」( τῆς ὥρας  τοῦ πειρασμοῦ )に対してです。

「試練の時」は試練にあう特定の時点であり、試練が発生する患難期(源泉/試練の時)ではありません。

なので「~から (from)」と訳すのが正解らしいのです。

「試練」の時から であり  「試練の時」から では無い。

「艱難」から 守るのであり  「艱難期」から 守るのでは無い。

難しいので、そのまま受け入れました 💦

仮に「試練の時間」だとしても「~から (from)」になります。

 

 

ですから試練の時からと訳すのが正解です。

だから〜「試練の時に 」では無い!

 

では何故試練の時から」では無く「試練の時に」と訳したのでしょうか。

 そう!そこ‼︎

 

この場合の「試練の時から」は「試練の時(の中)から」の「試練の時から」とは異なります。「試練にあっているその時から」の「試練の時から」です。

この「試練の時から」が「試練の時(の中)から」と成らない為に殆どの日本語訳聖書が、豊富な日本語の表現の中から「試練の時に」を選び、新改訳は「試練の時には」と訳したのだろうと言うのがオジさんの結論です。 

日本語も難しいですね w

勿論、数が多い事が、この訳が正しいと言う理由にはなりませんが...

ほとんどの聖書が「時から」では無く敢えて「時に」と訳した事の意味を思います。

もし試練の時を経験しないで守るという意味なら、エク ἐκよりアポ ἀπό(…を離れて)を使っただろう、と言うギリシャ語学者もいるそうです。

英語の聖書も殆どが from が使われていて out of が確認出来たのは2つだけでした。

英語の聖書の確認はこちら https://biblehub.com/revelation/3-10.htm

 

 聖書の無誤謬

オジさんは、原典に限らず全ての聖書が、神の霊感によって現存していると考えている人です。

黙示録3章10節を誤訳だとする人の中には、聖書の無誤謬(むごびゅう)を否定する人達の言葉を借りて「日本語聖書の翻訳には、神を信じない学者が多く関わっているので、間違えや嘘が沢山のある。」と言う方もいます。

極端な例では「サタン(悪魔)の影響を受けている」と言う書き込みを見かけた事もあります。

だからと言ってこの箇所がそうだと言う事にはなりませんし、個人訳や自主的翻訳を除く翻訳には、それに関わる多くのクリスチャン達の祈りと、神様の導きと関与が有って完成したとオジさんは信じます。

聖書の写本や翻訳に、違いや細かなミス等がある事は認めますが、今回の様な重大な件では大きな違いを産む様な誤訳は(ある筈が)無いと考えるのです。

むしろ色んな翻訳の違いは、原文に本意を求める時に神様の真意を改めて教えてくれる、神様を追い求める日本人(あなた)への恵なのかもしれません。

神様の許可なしには、私達の手元にある聖書は今、存在する事は無いと考えます。

(異端の聖書はどうなのか、聖書と認めるのかと言う話は残りますが...)

 

文脈を読む (12/3付記)

見落としがちですが、黙示録3:10の冒頭には『耐え忍ぶ事(忍耐)についてのイエス様の教えを守ったから』と『患難に耐え得る信仰』について書かれています。これは「試練の時から守る条件では無く、「試練の時に守る」と言っている理由(わけ)として受け取る方がイエス様の言葉としては自然な気がします。『耐え忍ぶ事を学んだから、来たるべき患難にも耐えられるんだよ。』と...

また、続く黙示録3:11〜12は、患難を耐え忍び、信仰を守り通した勝者への約束、『励ましの言葉』に続きます。

黙示録3:11〜12

あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。

 

聖句の意味は、その前後の文脈を合わせて判断する必要があります。黙示録3:10をだけを抜き出して携挙の事と読むのは、文脈を無視した読み方になるのではないでしょうか?(12/3付記)

 

最後に

多くの聖書が「試練の時にfrom と訳しているのに、信頼できる先生の言葉だからという理由で、安易に誤訳として受け入れてしまうのは如何なものだろう....

まぁ、今回のオジさんも、それと余り変わらんのですが....💦

ここはひとつお互い様、と言う事で宜しくお願いします。😆

 

如何でしたか、難解な内容に、ここまでお付き合い下さり有り難うございます。

今回の学びは、反論したいと言うよりも、もし本当に黙示録10:3が誤訳なら、オジさんは携挙について、間違って理解しているかも知れない?と言う処から始まりました。

とりあえず現状維持の結論です。

内容を理解し、まとめるには何度も、頭がウニウニしましたが、(^_^;)

なるべく分かりやすくまとめたつもりです....。

果たして、上手く伝えられたでしょうか。。。

頭の良い先生方に、難しい言葉(理屈)を並べて『間違っている』と指摘されても多分すぐには理解出来ないと思います。😭

無学故に、自信を持ってお伝え出来ない事が残念で仕方ありません。

まぁ、お互いによく分かっていない場合は、こう言う話もあるみたいだよ 程度の話題にはなるかと思います。

最後までお付き合い下さり感謝致します。

 

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色んな翻訳による黙示録3:10 引用

新改訳

あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

 

口語訳

忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。

 

新共同訳

あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。 

 

リビングバイブル

あなたは迫害にもめげず、じっと忍耐して、わたしの教えに従ってきました。それで、すべての人間を試すために全世界に襲いかかる苦しみと試練の時に、わたしはあなたを守ります。 

 

前田訳

なんじはわが忍耐のことばを守ったから、わたしもなんじを試みの時から守ろう。それは地に住むものを試みるために、全世界にのぞもうとしている。

前田 護郎氏の師である塚本 虎二氏は「試煉の時に」と訳しています。また前田氏が翻訳に関わった岩波聖書訳では「試練の時にも」となっています。ですから「試みの時(の中)から」では無く「試みの時から」だと考えられます。

 

塚本訳

お前は私の忍耐(に傚って忍耐し、これについて私)の言を(よく)守っ(てくれ)たから、私もまた、地上に住む者を試煉るため全世界に臨もうとしている試煉の時に、お前を守るであろう。

 

黒崎訳

汝なんぢわが忍耐にんたいの言ことばを守まもりし故ゆゑに、我われなんぢを守まもりて、地ちに住すむ者ものどもを試こころむるために全世界ぜんせかいに來きたらんとする試錬こころみのときに免まぬかれしめん。

 

岩波聖書訳

お前は、堪え忍ぶことを勧める私の言葉を堅く守ったから、私もまた、地上に住む者たちを試みるために全世界にまさに臨まんとしている試練の時にも、お前を安全に守る。

 

回復訳

あなたはわたしの忍耐についての言を守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試すために人の住む全地に臨もうとしている試練の時から、あなたを守る。

回復訳は、現在の携挙信仰の生みの親、ジョンNダービーのブラザレン派の流れを汲む教派 ○○に在る教会が発行する聖書です。(○○には所在地名が入ります)

 

 

共同訳(持っていない)や 創造主訳 (現代訳)も気になる処です。

お分かりの方は、宜しければ コメント欄にお願いします。

あっ、新世界訳は結構です。💦

King James Bible

Because thou hast kept the word of my patience, I also will keep thee from the hour of temptation, which shall come upon all the world, to try them that dwell upon the earth.

 

New International Version

Since you have kept my command to endure patiently, I will also keep you from the hour of trial that is going to come on the whole world to test the inhabitants of the earth.

 

Berean Literal Bible

Because you have kept the word of My patient endurance, I also will keep you out of the hour of the trial being about to come upon the whole inhabited world, to try those dwelling upon the earth.

 

その他の英語の聖書の確認はこちら https://biblehub.com/revelation/3-10.htm

 

2テモテ3:16 新共同訳

聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。

 

使徒17:11 新共同訳

ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。