クリスマスを待ち望むアドベントに入りましたね。
キリスト教にとってクリスマスは、救い主(メシア / インマヌエル)であるイエス様のご降誕を喜び、感謝し、記念する日なのですが、昨今、クリスマスをお祝いしない事を公言する教会も有る事をご存知でしょうか。
今回はその理由のいくつかを取り上げ、クリスチャン(教会)はクリスマスを祝うべきでは無いのか?祝って良いのか?を考えてみたいと思います。
クリスマスを祝わない理由(ザックリ)
1)実際のイエス様の誕生は、クリスマスの時期では無い
2)聖書には、クリスマスを祝う様に書かれていない
3)12月25日は、元々は異教の神を礼拝する冬至の祭りだった
1)イエス様の誕生はクリスマスでは無い
聖書研究が進むにつれ、実際のイエス様の誕生は、クリスマスの時期ではなく仮庵の祭りの頃だと考えられる様になりました。(諸説あり)
イエス様の半年前に生まれた、バプテスマのヨハネの父ザカリヤが、アビヤ組の祭司だった事がその理由です。(ルカ1:5)(1歴代 24:10).
(難しい説明は割愛しますが、アビヤ組の神殿奉仕の当番の時期から算出されました)
また、寒い冬の時期の夜に羊を放牧するのも有り得ない事だと言われます。
現在では、クリスマスはイエス様の「誕生した日」では無く「降誕を記念する日」と捉える教会が多い様です。
2)聖書には、クリスマスを祝えと書かれていない
確かに、聖書にはクリスマス(降誕祭)を祝う様にとは書かれていません。
イエス様の誕生を記念する様にとも、書かれていません。
ですが、多くの教会が祝っているイースター(復活祭)も、祝う様にとは書かれていません。
(クリスマスをお祝いしない教会はイースターもお祝いしないのでしょうか?調査不足です...)
聖書に書かれているのは、イースターでは無く『初穂の祭りを祝う様に』です。
そして、イエス様が十字架によって私達にして下さった事を思い起こす為に、共に食事をする事(聖餐)が命じられています。
わたしの記念としてこのように行いなさい。ルカ22
3)12月25日は、異教の神を礼拝する冬至の祭り
12月25日は古代ローマの宗教のミトラ教で「不滅の太陽が生まれる日」太陽神ミトラスを祝う冬至の祭でした、これを引き継いだローマの太陽神の祭り(ソル・インウィクトゥス)が、ユダヤ教の第9の月(キスレヴの月)の25日の祭り『ハヌカ』の代わりに、キリスト教を国教とした、ローマ(教会)によって転用されたのでは無いかと言われています。
(キリスト教はユダヤ教から派生した宗教で、初期キリスト教はユダヤ教の宗派のひとつだとも言えます)
クリスマスのアドベントでは、25日までを数え、ハヌカは25日から8日を数えます。
ちなみに、クリスマスイブの24日は、ユダヤ暦(太陰暦)での25日が24日の日没から始まる事に由来する様です。
てな訳で、太陽神の誕生を祝う、聖書に書かれていないクリスマスは偶像崇拝の祭りなので『私達の教会は、クリスマスを祝わいません』なのだそうです。
極端になると、クリスマスを祝う事はサタン(悪魔)を喜ばせる事だと考える方もいらっしゃる様です。😅
クリスチャンは、クリスマスを祝うべきでは無い?
オジさんは、クリスマスの特別礼拝で神様と出会った人たちを沢山見てきました。
(信仰を持った人の事です)
また、長年教会を離れていた人が、クリスマスをキッカケに、また教会に来る様になった事もあります。
そして
神様の救いのご計画(福音)がシンプルに語られるクリスマスの礼拝、
そこで撒かれた種が、いずれ何処かで芽吹くと信じ、期待しています。
確かに神様は、偶像崇拝を喜ば無いと聖書の至る所に書かれています。
同時に、長い歴史に置いて、クリスマスを祝うクリスチャンを、神様は容認されて下さっている様にも思えます。
聖書には以下の様にも書かれています。
フィリピ 1:18
だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。
ローマ 8:27~28
“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
どちらの聖書箇所の文脈も、『どの様な思いから』来るのかに触れています。
オジさんは、心から『神様に出会って欲しい』という思いからのクリスマスであれば、たとえそれが異教由来だとしても神様は益として下さるのでは無いかと考えるのです。
イエス様に倣おう
『あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。』
ユダヤ教の冬の祭りハヌカを連想させるイエス様のこの言葉は、ハヌカの時期では無く、天に帰られる直前の山の上の説教(山上の垂訓)で語られた言葉です。
では、ハヌカの時 ヨハネ10章のイエス様は、お祭り中の神殿で何を語られたのでしょうか?
ハヌカは、ロウソクを灯す、ちょうどクリスマスの時期にお祝いされる 「光の祭り」です。
ヨハネ10:22
そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭 (ハヌカ) が行われた。冬であった。 イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。
ヨハネ10:36
それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒瀆している』と言うのか。
イエス様は、ヨハネ10章ハヌカの神殿で(聖書が命じていない)祭りを祝っている多くのユダヤ人に、ご自分が神(の子)である事を証しされました。
残念ながらユダヤ人の多くは、それを信じる事が出来ずにイエス様に石を投げようとしたのですが...
こんにち我が国では(聖書に書いていない)クリスマスが、クリスチャンで無い人たちにも祝われています。
そんなクリスマスに、イエス様が神(の子)である事を証しする事は、イエス様が(聖書が命じていない)ハヌカの時にされた事に倣う事になる様に思うのです。
まとめ
私たちはいずれ神様の前で、自分の行いの全てに関して申し開きをする事になります。
クリスマスをお祝いするべきか否か...
(記事末の12/3付記をお読みの上)
各人がご自分の信仰と、神様に対する姿勢において判断して下さいとしか、オジさんには言えません。
オジさんは、友人知人が神様に出会う為のキッカケのひとつとして、これからもクリスマスをお祝いして行こうと思います。
最後に、クリスマスを祝わないクリスチャン家庭の親御様へ
おそらくクリスマスを祝わないクリスチャン家庭では、異教である盆踊りや秋祭りに行く事も禁止されているでしょう。
クリスチャンの家庭で育ったオジさんも、子供の頃、盆踊りや秋祭りに行く事が許されず、クリスマスは数少ない楽しみのひとつでした。
どうか、お子さん達の喜びを奪う事なく、たとえクリスマスをお祝いしなくても、代わりの喜びを与える「愛」のある日を過ごさせてあげて頂きたいと願っております。
皆様が、よきアドベントを過ごし、クリスマスを迎えられます様に。
マラナ・タ (Marana tha)主よ来て下さい
諸人こぞりて 迎えまつれ
主は来ませり
※ 聖書引用は、特別明記していない場合は「新共同訳」を使用しています。
ランキングに参加しています、よろしければ応援のクリックお願いします。
12/3 付記
初期キリスト教に限らず近年(1800年代頃)まで、クリスマスを祝わない事は、デフォだった様です。
『私達の教会は、クリスマスを祝わいません』の教会は、伝統を守っている教会でもある、と言う事を御留意ください。
法王ヨハネ・パウロ2世は、1993年のクリスマスの3日前に、クリスマスの祝いが聖書に起源をもつものではないことを認めているそうです。
12月25日という日付について法王は、「その日に古代の異教世界では、冬至と『無敵の太陽』の誕生日が同時に祝われた」と語っている。(ソース未確認)
カトリック百科事典-「教会が最も初期に祝っていた祝祭の中にクリスマスは入っていない」
ワールドブック百科事典-「初期クリスチャンはいかなる人の誕生日を祝うことをも異教の習慣とみなしたので、イエスの降誕を祝わなかった」
ブリタニカ百科事典-「1644年に英国の清教徒(ピューリタン)は、クリスマスが異教の祝祭であるという理由により、議会令によっていっさいの歓楽と宗教儀式とを禁じ、それを断食の日として守るように命じた。チャールズ2世はその祝典を再興させたが、スコットランド人はピューリタンの見方を守った」
クリスチャンの質問集(ルーテル派)-「あらゆる誕生日の祝いは(たとえ主の誕生日であっても)異教徒の風習であるというのが当時のすべてのクリスチャンの感情であった。初期クリスチャンはあらゆる異教の慣行から離れる努力をしていたので、イエスの誕生日としてある日を特別視することを避けた」ルーテル派牧師ジョン・C・マコリスター
「私はクリスマスとは無縁だった」米国カルバン派牧師ヘンリー・ウォード・ビーチャー( 1813年生~1887年没)は、30歳になるまでクリスマスの事を知らなかったそうです。
ニューイングランド地方(米国)では、1856年までクリスマスは合法化されなかった。
ニューポート(ロードアイランド州)のバプテスト教会が初めてクリスマスを祝ったのは、1772年の12月25日。これは、ニューイングランドで最初のバプテスト教会が設立されてから約130年後。初期のバプテスト教会および組合教会も、キリスト降誕を祝わってなかった。
付記 ここまで
関連聖句
ローマ12:2
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
クリスマスを祝う事は、この世に倣う事になるのでしょうか?
私たちは、この世に倣ったクリスマスを行っていないでしょうか?
詩篇25編
主よ、あなたの道をわたしに示し
あなたに従う道を教えてください。
あなたのまことにわたしを導いてください。
教えてください
あなたはわたしを救ってくださる神。
絶えることなくあなたに望みをおいています。
関連記事
イースターは祝うべき?
イエス様曰く「わたしの記念としてこのように行いなさい。」ルカ22