前回に続き、クリスチャンの自慰行為(オナニー)とポルノの是非問題です。
オジさんは男性なので、男性目線の内容になってしまいます。
前回同様、これが全てのクリスチャン男性の考えでは無い事、オジさん個人の考えであり正解では無いかもってこと、また題材がら一部の方には不快な思いをさせてしまうかも知れないことを事前にお断りしておきます。ご了承ください。
ちなみにオナニーの語源は聖書由来です。オナニー 語源- Wikipedia
イエスさまの言われた言葉
「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく、みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」マタイ5:27-30 新共同訳
お〜怖っ!不敬を承知で
「ポルノ見たぁだと目ェをえぐり捨てろ!地獄送るぞゴラァ!ハァ右手が恋人?切り取って捨てちまえ!」
だそうです。(右手が恋人=男性の自慰行為の隠語)
イエス様ごめんなさい。。。
前記事にも書きましたが、これは倫理的命令です。
一般的に十戒は倫理的命令と(私の周囲では)解釈されてるようです。 倫理的とは、人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。らしいです。 つまり、社会生活を送る上での一般的な決まりごとで『この様にしなさい』という命令より『この様に生きなさい』と言った生きる指標と捉えることができます。 「私は、今までのモラルよりもっと厳しいモラルを求める」って事でしょうか?
クリスチャンのSEX問題(婚前交渉) - クリおじさんの迷える聖書勉強
これを理由にクリスチャンが実際に目をえぐり出したり、腕を切り落とす事はありませんでした。(たぶん)
みだらな思いで見るならとあります。
男性には同意して頂けると思いたいのですが、女性の胸の谷間に無意識に視線が行ってしまう経験ありませんか?そっれって容姿や年齢に関係なくありません?
あきらかに自分のタイプでなくても、かなり高齢の女性でも目がいってしまうコトってありませんか?えっオジさんだけ?? (;^_^A アセアセ
なになに、あなたは胸じゃない.... 失礼
その時淫らな思いになります?ヤバッ!では無いですか。
これ一説によると、男性の本能らしいです。但しソースは無い!
その後淫らな思いを持つかは、その人次第なのですが...
引用された十戒の『姦淫するな』の本意は、立場の弱い女性を守る為のものです。
他人の妻でなければ良いの?と言葉じりを捉えるのはナンセンスでしょう。
ポルノは、確かに女性を性の吐け口の対象として見ています。
性産業は今や女性だけを商品とはしていません。
では、芸術と称するヌード作品は?2次元は?
自慰行為?性欲?
禁欲の果てに来る夢精のときの背徳感を覚えるあの夢は?
男性にしか解らなくてすみません...
(夢精は、男性の体を健康に保つ為に神様が与えてくれた機能です。)
(性交の悦びも、子孫繁栄と夫婦愛の為の神様からの贈り物と思います。)
正直、個々に対しての善悪の判断は、オジさんも曖昧です。
ただ、本能的に背徳感を覚える事は、罪だと思います。
罪を犯した後のアダムとエバの様に、神様に対して背徳感を覚える行為が神様に喜ばれるわけがありません。
では、どうすればいいのか?
ここから殆ど前記事と同じ結論になります。(加筆してます)
若い人は特に性への衝動は、抑えがたいでしょう。
でも本能的に罪悪感を覚える事は、罪だと思います。
ただ、旧約聖書のほとんどが、イスラエルが罪を犯し、神様から叱られ、悔い改めるけどまた罪を犯すの、繰り返しの物語です。
罪を犯したと自覚する事で、自分がどれだけ神様の求める義に遠く及ばない存在なのか、神様の愛による赦しを必要とする存在なのかを知り、悔い改めによってイエス様の十字架による救いを実感するのだと思います。
オナニーは罪だ!汚らわしい!とオジさんには裁く資格はありません。
オジさんも、何日前だっけ?未だに罪を犯してます。(どんな罪かって?察して!)
罪を犯す事を容認しているわけではありません。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
ヨハネ8:7
「性的欲求ガー」なんてわざわざ人に話す様な内容じゃないでしょう、教会とか関係なく。
誰にだって、人に話せない、話す必要のない秘密のひとつやふたつ持ってるよ。
神様それ知ってるから。
『自分は罪人だ』「罪を犯したー」大いに悩んで下さい、苦しんで下さい。そして罪赦された罪人だったこと思い出して下さい。感謝して下さい、喜んで下さい。
神様との関係が出来ていれば、(救われていれば)大丈夫。
自分は罪赦された罪人である自覚を持ち、日々悔い改めと感謝を持って神様との関係をより強めてください。
そんなダメダメな貴方を、辛抱強く愛されてます。
(罪赦された罪人:正確には罪赦される事が約束された罪人)
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
ガラテヤ5:22-23 口語訳
願わくば、お手元の聖書を開き ガラテヤ5章の16節から26節までお読みください。
どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。
Ⅰテサロニケ5:23−24 口語訳
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