献金、それは信徒にとって大きな躓(つまず)きの石であり、牧師にとって最も説教し難いものである。(byクリおじ)
献金とはある目的に使ってもらうために金銭を差し出すこと。また、その金銭そのものをさすこともある。(Wikipedia)
元々は初期の教会(エクレシア)で皆んなでお金を出し合って、お互いを支え合ったのが始まりだと承知しております。
教会での礼拝に参加するとほとんどの教会で献金の時間があります。
神様にお捧げするお金ですが、願い事を聞いて戴く為では無くて感謝の意味合いでするというていです。
実際は、教会の運営や奉仕者の給料などに使われているのですが、寺社の賽銭と同じ様なものでしょうか。
牧師先生にとっては、「給料もっと上げてくれっ」て言ってる様で説教の題材にし難いものでしょう。
信者のつまずきになるのは、寺社のそれと違い、それが毎週あることが原因です。
教会によっては、教会員になると(教会に籍を置く、教会を支えるメンバーになる)毎週の献金の他に色んな献金をお願いされ、その種類の多さや金額が負担となり結果、教会を離れざるおえなくなる方もいます。(この問題については後述します。)
席上献金のススメ
お勧めするのは、タテマエにしている「感謝の意味合いでする」礼拝での席上献金の勧めです。(本音になるのが理想なのですが...)
そもそも、神様は何一つ不自由されていません、あなたの献金など必要とされていません。
それなのに捧げ物を求められ、それを喜ばれるのです。
想像してください。
愛するお子さんが父の日に作ってくれた紙のネクタイ、運動会の手作りの金メダル、誕生日の肩タタキ券、ツンデレでくれるお菓子ひと口。
あなたにとって絶対に必要なものでなく、必要としていません。値がつかないものであり、付けられないものです。
もう説明は、必要ないかと思います。
次の礼拝では是非「神様いつもありがとう」「お父さん大好き」と思いながら献金してみてください。
いつもと違う「献金した!」と言う実感があることでしょう。
礼拝毎に献金されない(出来ない)方、家族単位(ご主人のみ)でされている方へ、
礼拝での献金は、各個人で礼拝毎にされる事をお勧め致します。
ワンコインで良いのです、ツンデレのひと口で良いのです、献金と言う行為は礼拝と言う神様との関係性(交わり)です。
まだ神様を信じていない方は、献金の意味をご理解の上、ご自身の判断にてご対応ください。
献金しない事のススメ
聖書の中に、神様に捧げ物をした兄弟の話がございます。
弟の捧げ物は受け取って貰えたのに兄の方は拒否られて、怒った兄が弟を殺してしまうと言う物語です。
あなたと神様の関係性がまだ出来ていない場合、また関係性を求めずにする献金は、神様に受け取って貰うことなく、ただ教会の運営費や牧師先生の給料になるだけです。
でしたらそのお金、礼拝帰りに街頭の募金箱に入れた方が、あなたにとって有意義なお金の使い道になると思いますよ。
その他の献金
教会によってはその他に様々な献金があったりします。
什一献金 毎月、収入の10分の一を捧げる献金 もともとは祭司達に祀りごとに集中して貰うために人々が収穫の10分の一を捧げていた事に由来する。
月定献金 収入の10分の一ではないが毎月定期的に行う献金、什一献金を行ってない教会での月一回の、まとまった額の献金 (金額を自己申告させる教会もある。)
感謝献金 祈りが聞かれた時や感謝することがあった時などに行う献金
会堂(積立)献金 教会堂の修繕や新会堂建設の為の献金 被災地支援、教団支援、引退牧師支援、クリスマス(御生誕)感謝など、その他たくさんの使用目的が指定された指定献金があります。
無記名で『〇〇さんの為にお使いください』と困難の中にある特定の信徒さんの援助の為に捧げられる信徒さんもおられます。
献金が信徒のつまずきになるのは、金額が負担になったり、強要する牧師がいたりする為です。
什一献金については、「それを行えばより祝福される、守らない事は神のものを盗む事である。」というちょっと御利益信仰的な教えがある為です。
教団に属さない単立の教会や小さな群れでは、献金額が直接牧師の収入の直結しますので、この教えを取り入れてしまっている教会が多いようです。
献金には、先に書いた礼拝の意味とは別に「教会の運営に必要」と言う現実的一面があるのも事実です。
献金に不満や疑問を抱かれる方の殆どが、強要されて行った献金が、牧師(家族)の必要以上の贅沢に使われたり、宣教とは無縁の事に使われたりしている事が原因のような気がいたします。
しかしながら、多くの牧師は薄給で質素な生活の中で、我々信徒の為に牧会に励まれて下さってます。
地方の小さな教会では、教会員の献金だけでは牧師の給料は愚か運営も儘ならず、教団からの支援金で営んでいる教会もあるようです。
この支援金も、各教会の力に応じて割り当てられた、各教会から所属教団への支援献金でまかなわれていることを覚えてください。
初期の教会が互いを支え合った様に、私たちの信仰生活の為に日々ご尽力くださる先生方のことを思い、各種の献金に向かい合って頂ければ幸いです。
献金が強要される様になってきたら、その教会には注意される事をお勧め致します。
献金以外の教えも含めて間違った教えが入ってきている可能性があります。
状況によっては教会を離れる事もお勧めいたします。
クリおじさんは、礼拝毎の献金は少額ですが必ず行う様にし、什一献金や月例献金はその時の所属教会に従う様にしております。
各種献金はその事への思いと懐具合に応じて行っています。
わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。 Ⅱコリント9;6,7 口語訳
よい指導をしている長老、特に宣教と教とのために労している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。 Ⅰテモテ5;17 口語訳
その他 参考にした聖書箇所
Ⅰコリント16;1,2
Ⅰテサロニケ5;12,13
什一献金と繁栄の神学については、余裕か必要があればいづれ書きたいと思います。(書くとは言ってない)
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