クリおじさんの迷える聖書勉強

クリスチャンおじさんのブログです。 独学による聖書の学びや、信仰生活のアレコレ

あなたは、何を信じていますか? 使徒信条と教会

キリスト教を名乗る教会には沢山の教派、教団があります。

ではその違いは何なのでしょうか?

みんな信じている事が違うのでしょうか?

教会の一致とは?

あなたの教会が信じている事は何でしょうか?

 

今回は、そんなコト考えながら書いてます。

 

教会のホームページを覗くと、「私達の信じる事」や「信仰告白はニケア信条に準じます」「コンスタンチノポリス信条に云々...」などと書かれている場合があります。

信条とは「信じている事」とでも思ってください。

 

東方教会正教会東方諸教会)では、ニカイヤ信条 (ニケア信条)

西方教会カトリック教会聖公会)、多くのプロテスタントでは、使徒信条

が、おもに用いられています。

これらは言い回しが違いますが、どちらも本質的には同じ事を言ってる様にオジさんは捉えています。(立場上の互いのプライドでしょうか?)

 

ニカイヤ信条とは、西暦325年にニカイヤで開かれたキリスト教の公の会議で採択されたキリスト教信仰告白です。

正確には、こちら

使徒信条とは、ローマカトリック教会の「ローマ信条」(2世紀後半)にもとづいてつくられたもので,古くからカトリックの信条として用いられてきたもので、これも言い回しに違いがあるけれど、プロテスタントの教派でも多く採用されています。プロテスタントの意地かな?)

詳しくは、こちら 色んな使徒信条が読めます。

コンスタンチノポリス信条

381年のニカイヤの公会議で定められた信仰告白。325年のニカイヤ信条(原二ケア信条)と区別するためにコンスタンチノポリス信条と呼ぶ。

つまり、昔のキリスト教界の指導者達が集まり、一生懸命、神様(聖霊)に尋ねて、祈って、聖書の教えから逸れない様にして生まれたものだと思います。

神様の介入(が有ったと信仰によって信じる)と歴史に担保された、

私達キリスト教は、イエス・キリストの何を信じているのか、こんな事を信じているんですよ、と言った信仰の表明、宣言、告白ですね。

 

聖書の言葉ではありませんが、聖書の教えを要約した様なものかな。

聖書の言葉では無いので、これを告白しないからと言って、その教会が異端だとか正しくない教会と言うわけではありませんよ。

 

要約されたこの信条を、オジさんはどう理解しているか、オジさんは何を信じているのか、オジさんの信仰との一致を、オジさんが現在所属する教団の使徒信条と合わせて紹介するね。

 

青文字が使徒信条赤文字がオジさんの信仰告白

使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

全知全能の創造主なる神様、救い主なる神 エス様を信じてます。

 

主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生れ、

エス様の処女降誕を信じてます。

 

ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、

エス様の歴史的実在と十字架による福音を信じてます。

 

陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

今も生きておられるイエス様の、死からの復活と昇天を信じてます。

 

かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

エス様の再臨と最後の審判がある事を覚悟して信じてます。


我は聖霊を信ず。

聖霊の存在と内住、まだよく分からんけど、三位一体の神様を信じます。


聖なる公同の教会、聖徒の交わり、

私たちは、イエス様にあって1つの教会、1つの体である事を信じ、その交わりを大切にします。

 

罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。

エス様の十字架によって、罪の赦し、終わりの日の身体のよみがえり、永遠の生命が約束されている事を信じています。


アーメン 然り!

 

こうやって見ると、キリスト教が如何に凄い(トンデモ?)な事を信じているかと思えるかもしれません。

だって、処女の妊娠?死人のよみがえり?永遠の命。。。。ですよ。

ですがオジさんを含め多くのクリスチャンは、これらの事を真剣に信じ、教会で唱和しているのです。

 

オジさんは、教会を探したり、どんな教会か調べるときに、その教会の信条を確認します。

ニカイヤ信条使徒信条を採用しない教会の中には、オジさんがキリスト教の要だと思っている、十字架の死からの復活を信じていない教会もあるからです。

(おもに自由主義神学の立場の教会が多いです)

教会独自の信条を掲げている場合は、ニカイヤ信条使徒信条と比較して、一方には書かれているのに、もう一方には無いコト、一方には書かれてい無いのに、もう一方には書かれているコトに目を向けて、どうしてだろう....?と考えます。

 そして、多くの教会が採用している、これらの信条の中にキリスト教会の一致が有ると感じるのです。

 

反面、教会が公に揚げている信条以外で、その教会が大切にしているコト、重要視しているコトが、良し悪しを問わず、その教会の個性、特徴と言えるのかもしれません。

伝道活動、社会奉仕、政治運動、異言の祈り、聖書預言、聖書研究、癒し、現世の祝福。。。などなど あなたの教会の特徴は何でしょうか?

 

いづれにせよニカイヤ信条使徒信条は、オジさんにとって教会を知るときに非常に有益な判断材料で、これをまとめ上げられた先人方と主の働きに感謝致したいと思います。

 

また、いかなる信条(信仰告白)も揚げていない(揚げられない)教会には、注意深く有る事を、余計なお世話ですが おすすめ致します。

2021年1月付記;分かりにくい、やたらと長文の信条を挙げている教会の中には、注意深く読んでいると、最もらしい信条の中にアレっ?と思う様な一文が含まれていたりする事がある事を、付け加えておきます。(その判断はご自身で...)付記ここまで

 

最後に、この記事を書きながら

先人たちの作り上げた、これらの信条と『自分の信仰告白』を比べた時に、自分の信仰において足りない部分を確認できた事を、神様に感謝致します。

 

あなたは、何を信じていますか?

どの様な信仰告白をされますか?

 

最後までお読み頂き、有難うございます。

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おまけ  Wikipediaより引用

原ニカイヤ信条 日本語訳

我らは、見えるものと見えざるものすべての創造者にして、
すべての主権を持ち給う御父なる、唯一の神を信ず。

我らは、唯一の主イエス・キリストを信ず。
主は、御父より生れたまいし神の独り子にして、御父の本質より生れ、(神からの神)、光からの光、
まことの神からのまことの神、造られずして生れ、御父と本質を同一にして、
天地万物は総べて彼によりて創造されたり。
主は、我ら人類の為、また我らの救いの為に下り、しかして肉体を受け人となり、
苦しみを受け、三日目に甦り、天に昇り、生ける者と死ぬる者とを審く為に来り給う。

また我らは聖霊を信ず。

主の存在したまわざりし時あり、生れざりし前には存在したまわず、
また存在し得ぬものより生れ、
神の子は、異なる本質或は異なる実体より成るもの、造られしもの、
変わり得るもの、変え得るもの、と宣べる者らを、
公同なる使徒的教会は、呪うべし。

 

使徒信条 

2004年2月18日/日本カトリック司教協議会認可

 

天地の創造主、全能の父である神を信じます。

父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、
ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、
三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、
生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。

聖霊を信じ、
聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
アーメン。

 

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